世の中にはすごい天才がいる。台湾の史上最年少閣僚、オードリー・タン(唐 鳳 / Audrey Tang)はその一人だろう。
しかし私はオードリー・タンのことをよく知らない。メディアが映し出す彼女の姿しか私は把握していない。日経新聞の「ゲームチェンジャー」というコラムで拝見したが、素晴らしい頭脳の持ち主なのだろうな、ということはわかった。だが、彼女が具体的に何を考えて、何をどう行動して台湾や世界を変えにかかったのか、それを知りたかった。きっとこの本を手に取る人の多くは同じ感情だろう。
「オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る」は正直なところ、彼女の発想のごくごく一部しか垣間見ることができない。たかだか250ページ程度の本でそこまで知るのは高望みかもしれないが、とてもあっさりした本だったなという印象だ。
別に難しいものを求めているわけではないが、「これほどの天才であれば、どういう思考プロセスなのだろう?」と知りたいと思った。
あまりネガティブなことを書きたくはないが、書き急いだのではないか?と思ってしまうほど、ぶつ切りというか、広く浅くという本だったのが少し残念だ。
この記事はこんな方におすすめ
- 台湾の先進的な施策について学びたい方
- オードリー・タン氏に興味がある方
- テクノロジーと民主主義の繋がりについて知見を得たい方
ブックデータ
- オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る
- オードリー・タン
- 単行本 256ページ
- プレジデント社
- 2020/11/29
「オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る」はオードリー・タンという人物を知るには浅い本だ
単刀直入にいうと、「オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る」はいささか中途半端な本という印象だ。手広くカバーしようとしすぎて、浅くなりすぎてしまった、そんな本だ。
この本は本当にざっくりと分類すると、「台湾の新型コロナウイルス対策」「デジタルやAIをオードリー・タンはどう考えているのか」「オードリー・タンとは誰なのか」そして「日本と台湾の関係性についてオードリー・タンの意見を聞く」といった項目から構成されている。
これだけの内容を一冊の本にまとめあげるのは不可能に近い。
だから「オードリー・タンとは誰なのか」という部分は本当にあっさりと終わる。Wikipediaよりは当然詳しいし、自身の生い立ちや節目節目で感じていたこと・考えていたことを記載しているのは良いのだが、いかんせん短い。
もちろん、彼女について書かれた本は他にあるわけだし、オードリー氏自身について、例えばずば抜けたIQだとかトランスジェンダーである点だとかについて知りたいのであれば他のソースはある。
しかしあえてその扉を開けてしまったのだから、読んでいる側としては「いや、もうちょっと知りたいぞ」となって終わってしまう。
一つ一つの示唆は非常にディープで、素晴らしいものだけに(民主主義とデジタルの危険性をどう捉えるか、政治への関心を高めるにはどうしたらいいか、高齢者のデジタル社会での役割とは、など)、それぞれを掘り下げられなかったのは残念だった。
天才の思考は本当に少ししか見えない
オードリー・タンは天才だろう。みんながそう思っている。私もそう思っている。実際に偉業を成し遂げているし、素晴らしい人間だろう。
だから私は、「その人がどう考え、どのように意思決定をしているのか」が知りたい。それはとてもおこがましいことかもしれない。私ごときに、天才の発想がわかるわけがないだろう。しかしその片鱗に触れてみたい、というのは高望みだろうか。
この本の残念だと感じたところは、「結論」と「その結論に対する大まかな理由」は書かれているのだが、「そこに至った詳細な経緯」はあまり書かれていない。
先ほど書いた、「幅広くしすぎて中途半端」というのはこういうところに弊害が出ている。例えば台湾の新型コロナウイルス対策について、オードリー・タンが下した決断は多岐にわたるだろう。しかし、表面的に「こういうことがあったので、こういうのが良いと思い、こういう選択を台湾は取りました」と書かれているにすぎず、「何と何を比べて、どう悩んで、どういう発想でこういうものが浮かんで」というのはあまり触れられていない。
もちろん、何もかもがそういう記述であるというわけではないが、しかし「もう少し、何を考えていたのか知りたいなぁ」と思ってしまうような内容だ。
それこそ、「台湾の新型コロナウイルス対策」だけに焦点を絞った本を読みたかったのかもしれない。どのような葛藤があり、どのような取捨選択があり、決め手となったのは何なのか。オードリー・タンの脳内を私は覗きたかったのだ。
ひどい言い方かもしれないが、「ざっくりとしたことを知りたい」のであれば、Wikipediaで十分だ。踏み込んで、著者自身の思考プロセスをより具体的に知りたかったから、この本を手に取ったのである。
オードリー・タンはすごいやつである
しかしまぁ、オードリー・タンはすごい人だ。どこから始めたらいいかわからないが、私の理解をはるかに超えるところで色々やっている。
だってあれですよ、8歳そこらで分数を理解するためのプログラムを書いているんですよ。私が8歳の頃なんて、庭で穴ほって遊んでいたのだから、比べることすら許されないレベルだ。
しかしこうした「すごいやつエピソード」の端々から、彼女の持っている理念が感じ取れる。オープンなディスカッションから、共通の理解を導き出すことに注力しているのである。インターネットに興味を持ったのも、そして民主主義とデジタルの融合に活路を見出したのも、そういった理念に基づいたものだからだろう。
私が本書を通して感じたのは、オードリー・タンがいかに「すごいことを成し遂げた」人間なのかどうかという点以上に、「オードリー・タンはいかに明確なビジョンを持って人生を通して物事にあたってきたか」という点の凄さである。
ブレない姿勢を保つということは、(GRITの本でも紹介したように)、何よりも難しく、そして重要なことなのかもしれない。
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最初は私も「中学中退」とか「最年少官僚」といったキャッチーなフレーズに感心していたのだが、それよりもすごいのは彼女のストイックな物事の解決法なのである。
だからこそ、数々の難局において、「どのようにその理念を突き通したのか」ということをもっと詳細に知りたくて残念に思ったのかもしれない。
余談ではあるが、彼女がマジック・ザ・ギャザリングをするために来日していた(使用デッキはユーロブルー)というのは驚きだ。一度お手合わせをお願いしたいところだ。いやボコボコにされるか。
「オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る」で紹介されているエピソードは面白いが、そこから何を学ぶのだろう。
本書で紹介されるエピソードは痛快で読み物として純粋に面白い。
「こんなにスピーディなのか、日本とは違うな」だとか、「こんなに政治決定がオープンなのか、日本とは違うな」だとか、「こんなに民衆の声が反映されるのか、日本とは違うな」だとか、「こんなに国に国民が信頼を寄せているのか、日本とは違うな」と思うところが多い。
そう、「ここは日本とは違うな」と感じさせるエピソードが多いのだ。
例えば、以下が印象的だった:
…私たちのプラットフォームでは、「二ヶ月以内に5000人が賛同した場合には、必ず政府が政策に反映する」というルールがあります。…5000人を超えると、政府には誓願内容を政策に反映しなければならないという義務が発生するのです。」
「オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る」 p.133より
しかし、それは当たり前のことである。ちょっと考えてみれば、日本と台湾は、人口も歴史も地政学的にも違う。同じアジアというくくりで見ても、やはり違うところが多いのである。
それゆえに、「面白い」と感じて、「日本とは違う、羨ましい」と感じて行くのだが、それは果たして正しい感情なのだろうか。
別に私は日本を擁護したいという気持ちはないし、台湾をディスるつもりもない。ただ「違う」というところを理解しないと、「隣の芝は青い」で終わってしまうのかもしれないのだ。
オードリー・タンの提示する決定プロセスはとてもフェアだ。だがそれは台湾の規模だからできるとか、直面している政治的な問題の重大さが違うからできるとか、そういうところを吟味しなければいけない。つまり、純粋に「こんなに素晴らしいことをやっている」と紹介して、日本に同じフレームワークを当てはめようとしても、うまくいかない可能性がある。
「やる前から批判」はよくないのはわかる。だが、日本向けの本であるならば、オードリー・タン氏に「日本に台湾の施策を当てはめるときに考慮するべき点」の示唆を書いていただきたかった。クレクレすぎる、自分で考えろと言われてしまいそうだが、この本を本当に有効活用するのであれば、重要なのはそこなのではないだろうか?
オードリー・タン氏の考え方を、日本で浸透させて実行させるには、何が足りないのか? 何がハードルとなるのか? そこを議論するべきだろう。
まとめ 「オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る」は前向きな思考を身につける建設的な本
確かに、天才であるオードリー・タンの思考プロセスに深く踏み込むことはできない本であった。しかし、だからと言って何も得られないというわけではない。
彼女が示している民主主義のあり方は実に理想的で、しかし夢物語では決してない。どのように私たちが考え、どのように決断を下していけば良いのか、その道筋を出してくれている。
一見すると、「それは台湾ではできるかもしれないけど、ここは日本だから」と言いたくなるような内容だ。少なくとも私は最初そう感じてしまったが、それは私の視野が狭く、物事を大局的に考えられないからだろう。デジタルの利点を考え、それをいかに実現のためのツールとして使っていくかという積み上げ方は、日本でもできることだろう。そこで出てくるハードルや導入のたやすさは国によってまちまちかもしれないが、できるはずなのだ。
それをどのように考えるのか。「そこを書いていて欲しい」と読了後すぐに思ったが、あるいはこれはオードリー・タン氏からの「あなたならどうするのか?」という問いかけなのかもしれない。
この台湾の若き天才の生い立ちと、柱としている理念を学ぶには、少し広く浅くといった形だが、面白い一冊だったと感じた。