何も言わずに、冒頭の一文を引用しよう。
格差拡大と貧困の深刻化が大きな問題となっている日本。だが、巨額の財政赤字に加え、増税にも年金・医療・介護費の削減にも反対論は根強く、社会保障の拡充は難しい。そもそもお金がない人を助けるには、お金を配ればよいのではないかーーこの単純明快な発想から生まれたのが、すべての人に基礎的な所得を給付するベーシック・インカムである。
-本書の前表紙裏解説より
なんとも分かりやすく、そして多くの批判を生みそうな考え方だ。私もはじめてベーシックインカムの考えを聞いた時、すぐに「不可能だ」と思った。
- 財源は?
- 働かなくなる人が増えるのでは?
- 物価が変化して、結局ベーシックインカムでは食っていけなくなるのでは?
- そもそも今の福祉制度すら回ってないのに、どうやって実現するのか?
このような誰しも考えるであろう疑問がふつふつと湧いてきて、私の中では「ユートピア主義」「共産的イデオロギー」「夢物語」と次々とレーベルを貼って頭の片隅に押し込まれた。
だがこの本は刺激的で、このような疑問・問題に真っ向からデータを用いて反論してくれる。
「ベーシックインカムなんてこの日本じゃ無理!」と思う人ほど、ぜひ手にとってほしい。
この本はこんな方におすすめ
- 社会のあり方を変える革新的なアイデアに興味がある方
- これはダミーのテキストです日本の今後の社会保障制度に不安がある方
- 年金や生活保護に変わる何かが必要だと感じている方
目次(タップで開きます)
ブックデータ
ベーシック・インカム - 国家は貧困問題を解決できるか
- 原田 泰
- 新書 184ページ
- 2015/2/24
- 中央公論新社
なぜ人は貧困に陥るのか
著者は貧困を「給付額の不十分」ではなく「アクセスがないこと」と説いている。言われてみればそうかもしれないと思わせてくれる、ちょっと変わったアプローチだ。
もらうべき人がお金をもらっていない。であれば、全員に配れば良い。
これがベーシックインカムのスタート地点だ。
著者は日本の歴史を紐解き、雇用が生活を守っていた時代の終わり、つまり非正規の仕事が増え出す1990年以降を起点として貧困を考えている。多くのデータやグラフを用いて、男女間の賃金差や正規非正規の賃金差などを考えていく。
それによって会社が今まで提供してきた福祉から分断される人が増えていると指摘し、社会福祉制度の問題点をあげている。
公共事業を通した雇用の創出がうまくいかない点から始まり、興味深いのは育児・介護の仕事を増やそうと早合点しても必ずしもうまくいかない点を説明しているところだ。
とにかくデータに裏付けして、論理的に展開していくから文体が教科書のようなのに非常に楽しく読めていく。(内容は全く楽しくない、悲しい話なのだが)
企業が生活保障をするのをやめる
著者は福祉にアクセスできない人たちや、ワーキングプアの人たちに着目し、企業が社会福祉を担うのをやめてみればどうかと提案する。
ある種ちゃぶ台を返すような、そしてそれでいて論理的には鮮やかな話だ。
実は日本は格差が大きいということをデータに裏付けられて出されるとぐうの音もでない。
生活保護自体よりも、生活保護にアクセスができない人たちがいるのが問題だということをこれまたデータを通して説明して、生活保護を受けることはかえって社会参加を促すことになると説く。(一見、正しいと思うことと全然違うのが「ファクトフルネス」に近い話で面白い)
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後者については少し疑問ではあるが、たしかにワーキングプアで貧困スパイラルに陥るよりかは、生活を保障された方がチャレンジ精神も湧くかもしれない。あるいは堕落するかもしれない。そこは人間の精神の話なので、判断が難しい。
失敗だった公共事業の例を挙げて、結果的にお金を配った方がマシだったのではという結論はいくらデータを持ち出されても少し納得できないものが残るが、しかし論理的には組み立てられているので興味深い。
貧困層へのお金のバラマキは効果があるのか
所得の再分配は様々な議論とスタンスがあるが、著者は功利主義や正義論などを並べてそのメリットデメリットをわかりやすく解説している。とはいえ、短い段落なので腑に落ちないという気持ちは残る。
ベーシックインカム思想の歴史も紹介しているが、やはり駆け足な印象だ。この辺りは富の淵源の話など、雑学というか歴史を端折り過ぎたが故にちょっと初学者にはついていき辛く、またどこに議論が向かっているのかも分かりにくかった。
結論から言うと、富の正当性に疑問が持たれている、という話になる。
よろしいところから富が出てきており、よろしい方法で分配されているのだろうか?という話だ。
不当な利得を貪っている投資銀行批判など耳がいたい話だが、富に正当性があると国民が感じなければいかないという話につながる。
極めて大事な点だとは思うが、少々本題から逸れているように感じられる。
非常に長く、だが流石に新書における一章程度の文章ではカバーしきれない日本の歴史や社会情勢について語ったあと、結論として現れてくるのは「効果が出ない政策を通して雇用を作りうとするよりかは、お金をばらまいたほうが良い」という話だ。
日本は、これまで無理やり仕事を作ることで人々の生活を守ろうとしてきた。公共事業、農業保護、中小企業保護などの政策である。もちろん、生活保護のように、直接、生存権を守るという政策もある。これらの政策にいくら使っているだろうか。これらの予算を、人々への直接給付にしたら、どれだけのことができるだろうか。
-本書116ページより
果たしてベーシックインカムは日本の財政で実現できるのか
まず、著者はお金のスペシャリスト、金融政策のスペシャリストだ。それだけに、彼の説明には説得力がある。私は権威には弱いのだ。
実際問題、日本の支出の表を出されて、「これは削れる」「これを財源にできる」と淡々とメスを入れられると、「そうかぁ、そうかもしれない」と思ってしまう。あまり反論できないのが自分の能力のなさ、知識の無さを露呈しているのだが、しかし財源的に実現できるとして果たして政策として実現できるのかはまた別の話である。
しかし、BI[ベーシックインカム]を給付するための財政コストは直接給付するコストだけではない。それは、働くインセンティブを維持するために、ある程度所得のある人にも基礎的所得を給付することになり、これまでなら税金を払っていた所得層が、実質的に税を払わなくても良くなるという意味で財政コストがかかるということである。
-本書127ページより
このインセンティブが難しい。
ベーシックインカムが実現すると、労働意欲が下がることによりプラスアルファのバリューが生まれなくなるのではないか?
著者はベーシックインカムの額だけでは満足できなくて働く、と説くが私には今ひとつそのロジックがピンと来なかった。確かに最低レベルの生活を保証されるだけでは足りない。自営業の人の所得をどう計算するとか、そういう説明に対しても「新しい課税法を考える」でまとめられてしまっており、少し苦しい。
確かに理論上、制度としては成立できるかもしれない。
だが、それは持続可能だろうか?
そしてプラスをもたらすだろうか?
著者の説明だけでは、まだ納得がいく、手放しで賛同できるというレベルには至っていない。
数字のマジック、机上の空論、実現可能性はいかがなものか
移民の問題、企業がベーシックインカム導入後に給与を相応に下げてしまうであろう問題など、付随的な問題が多く、それらに対してはあまりページ数が割かれていない。
筆者は「これらは失敗したから、じゃあ逆のこれは成功する」という説明の仕方を多くしている。
確かにデータに裏付けられているところが多いが、「こうだからこれはだめだった」「実はこの数字はこうだ」「ならば、こっちなら大丈夫だろう」という論理の流れが実はトリッキーだと感じた。
これだけの損失が出ている!と聞くと、「それはやめなければ」と考えるのが人の自然な反射反応だ。しかし、だからといって「その逆をすればいい」となるわけではない。
水を飲みすぎたら死ぬからと言って、水を全く飲まないようにしようという議論が成り立たないように(もちろん、著者はそんな適当で極端なことを言っているわけではないが!)、もう少し納得行くロジックが欲しかった。
もちろん、ベーシックインカムを導入している国がないからサンプルケースがないという問題もある。
全てはシミュレーションなのだ。だから確証が持てないのは仕方がない。まだまだ議論の余地はあるし、潰さないといけない問題はたくさんある。
まとめ この困難な日本社会で、ベーシックインカムを議論する余裕はあるか
やはりベーシックインカムがこれまで成立してこなかったのは理由がある。
社会的な通念の壁、財源の壁、政策を通す壁、そしてその結果をどう保障するかの壁。
どれも超えられないハードルではないと思う。
だが、一つ一つ丁寧に議論して、前に進まなければいけない。
しかしベーシックインカムについて腰を据えてじっくり議論する余裕が今の日本にあるかというと、それは難しいのではないだろうか。
喫緊の課題に体当りしながら、片手間で考えられるほど生易しい問題ではないように見える。実現したところで、そのメリットはよく考えられた経済政策に比べてどれほどのメリットをもたらすだろうか。
そして日本の高齢化社会にどれだけうまく適合できるだろうか。
非常に面白くて刺激的な本だった。もっともっと、議論を聞きたい。新書一冊じゃ足りない。この先はどうなるのか、誰がどう議論をリードするのか。
興味をがっしり掴まれた一冊だった。