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正しいと思って犯す厄介なミスをなくす 確実な自省メソッド

正しいと思って犯す厄介なミスをなくす 確実な自省メソッド

人はミスをする生き物だ。人間よりもはるかにルール主体で動き高速で物事を処理するコンピュータだってエラーを起こすのだから、ミスを犯さない人間なんて存在し得ない。

ミスには色々な種類があるが、大抵のものは注意不足が原因だろう。それこそ注意深く何度も見直しをして、指差し確認でもすればそういったミスは消えるだろう。

数字の見間違い、文章の読み間違い、こういったものも慎重さがあれば矯正できる。

私が問題にしたいのは、ミスが無いと確信した上で起こるミスだ。自分ではきっちり正しくやったつもりでも、後々それが間違っていることが発覚した経験はないだろうか。私は正直それが非常に多い。

指摘されると、「え、これ間違ってるんですか!?」というのが第一印象だ。いやいや正しいはずですよ、と。

これは相手にも自分にもあまりよい結果にはならない。そこで私がミスを犯しまくって(今もなおたまに犯すが、その数はぐんと減った)考えてきた簡単なアドバイスを送りたいと思う。

この記事はこんな方におすすめ

  • ミスをしても、何故間違えたのかわからない方
  • 認められないミスに直面する方法を知りたい方
  • ミスを指摘された場合の怒りのやり場に困っている方

何故ミスを犯した自覚がないミスはストレスなのか

正しいと確信して犯すミスというのは、つまりは自信から来ている自分はこれを正しくやっている、という自信から生じるものだ。だからそれでミスを犯すと、プライドがズタズタにされた気持ちになるし、苛立ちは(個人的には)数字の書き間違えといったイージーなポカミスよりも大きく募る。

同時に、今まで自分が信じてやってきたことが否定されて、困り果てる。

自分が正しいと思っていたものが否定されると、自分の中の何かが崩れてしまう

不注意からなるポカミスなら、「もっと注意すればよかった」となるし、最悪な気分になることには変わりがないが、幸いにして「もっと注意すればいい」という解決策が自明だ(もちろん、言うのは簡単だが人間は案外注意することが不得手な人が多い。私を含めて)。

しかし、正しいと思って犯したミスは、是正方法が分からない。どこまで遡って自分の考えを正さなければならないのか、見えて来ないことが多い。自分の中で一度「これはこうあるべき」と固まってしまっているのだから、その複雑な結び目を解いていくのは生半可なことではない。

こういったミスのストレスとは、そういうところから生じてくる。

防衛的にならないのが、ミス解決の最初の一歩

イージーミスを認めるのは容易い。寝不足で、とか、お酒を飲んでまして、とか、誰彼に話しかけられた時だったので気が散って、とか言い訳は少しは出てくるかもしれないし、それらの言い分は正しいかもしれない。

だが、話はそれ以上進まないからイージーミスを認めるのは簡単だ。じゃあ次はよく寝てきます、お酒飲みません、話しかけられたら手を止めて、災害時はより注意しますといった話で終わる。

原因が見えているから、「その通り、ミスをしました」で片付けられる。

だが、「自分は正しいという信念を持って犯したミス」は認めるのに相当な勇気がいる。「ミス」は現実の結果として起きているのに、そこに自身の行動との因果関係が見えて来ない。なぜ、それがミスなの? と不思議に思う。そして次第に怒りが出てくる。

「私は正しいと思ってやったんです!」と、そのミスを認められなくなる。この手の防御本能は誰にだってあることだ。自分は正しいと思っているなら、その正しさを主張するのが筋というものだろう。

だが、私は散々抗ってきてわかったことがある。

防御的になって生まれるものはなにもない。

まずはミスをミスであると受け入れる、そのメンタリティが何よりも大事なのだ。

実にアタリマエでつまんないことを言っていると思うかもしれないが、このステップなくして進まない。

プライドが傷つくし、自分の信じたものが崩れてしまうし、行き場のない強烈な怒りがこみ上げてきて、「じゃあこんな仕事やめてやる!」と走り出したくなる気持ちは当然ある。絶対にある。だが、そんなプライドは邪魔になるし、信じたものは「より正しく」積み上げ直せられるチャンスだし、怒りは他人に当てずに発散するしかない。

法廷の場とかでもなければ、防御的になって、良いことなんて何もないのだ。

相手のロジックを聞くことで、ミスの原因を探る

言い訳をせず、素直に罪を受け入れた。オーケー。

次のステップは何だろうか。それは、ミスを指摘してきた相手の話をよく聞くことだ。

これはやはり強烈に腹がたつことだ。「お前は間違っている」と言われただけでも血管が切れそうになるのに、「なんで間違ってるか教えてやる」となったらもう大変だ。しかし、せっかく素直になったのだから、最後まで素直にならないと損である。

相手の話を全部聞こう。

たまに相手が間違っていることもあるが、基本的にはあなたがミスを犯している事が判明する。なぜなのか分からないかもしれない。「え、でもそこってこうですよね?」と何度も何度も何度も口を挟みたくなるかもしれない。

だが、まずは黙って相手のロジックを1から10まで聞く。端折られたな、と思ったらその点を心に留めて、とにかく相手の説明が終わるまでじっと堪える。

私の人生におけるトップレベルに腹が立つのは正直この瞬間だ。ミスを指摘される瞬間も腹が立つが、何がどうミスなのかを説明されるのはトップレベルの屈辱だ。死にたいとすら思ったことがある。

だが、そこを抑えて、相手に全て話させる。

相手はどういうロジックであなたが間違えていると感じたのか、それを全て聞く。

自分のロジックを「反論」ではなく「説明」する

相手が話し終わったら、今度はこちらが話す番がやってくる。話は終わり、となりそうだったら、勇気を出して「質問してもよろしいですか」と切り出そう。

自分の番がやってきて、「しめた!」と思ってはいけない。これは法廷ではないから、あなたに弁護の余地はない

ここであなたが話すのは、自分を弁護するためではなく、あなたの中にある論理の結び目をほぐすためだ。

「あなたの言うことはとてもよく分かりました。私はこの問題について、今後はあなたのご指摘の通り進めるでしょう。ですが、自分では今言われるまで、別の方法が正しいと思っていました。今もなお、なぜその方法が正しいと思っていたのかわかりません。よかったら一緒に考えていただけますか」

ここで大事なのは、言い訳ではない

いやでも、自分はこうだと思って… と言うのではない。

判定は下されたから、それを覆すことはできない。新しいプロセスを学んだのであれば、今後それに従えばいい。

だが、問題はそこではない。

最初の時点で「正しいと思って」やったが、それが結果的に「正しくなかった」のだ。ここで危険なのは、正しくないプロセスを取っていたこと自体よりも、「正しくないものを正しいと思っていた」ことだ。

そこをどう解消するかは簡単だ。正しいプロセスを理解している相手に聞くのだ。

正しいものを知っている人であれば、正しくないものがなぜ正しくないかを指摘できる。そして熟知している人であれば、「なぜそう思うのか」を説明できる。

地球は止まっている、と考える人がいたとして、なぜそう考えるかはあなたにも分かるだろう。回っているなら目が回るはずだ、とか、回っているなら上に投げたボールが同じところに落ちるのはおかしい、とか、そういう議論を展開するだろう。だが「確かに、そう誤解されるのもおかしくはありませんね」と前置きをして、自転について説明できる。

それと同じように、「あなたがなぜ(なにを、ではなく、なぜ)間違えていたのか」を教えてくれるだろう。

理由はちっぽけなものかもしれないし、何かより重大なことかもしれない。

だが根本を理解しないと、進められない。こんがらがった結び目は一度解いてピンと伸ばさないと、一部が綺麗になってもその他の部分はこんがらがったままだ。

これをしないと、全く同じ問題は改善できるかもしれないが、似てるけど違う問題が出てきたらまたミスを犯す可能性がある。

論理の紐をたどって、何故間違えたのかを考える

最後に、打ちひしがれ憔悴して机に戻ったとき、まだやることがある。

教えられたロジックと、自分が間違えていたロジックを並べて、よく見極める

どこまでが正しくて、どこから間違えていたのか。そして、その間違えの原因は何か。今言われたことを、自分の言葉にして考える

自分の言葉にするのは大事で、ぐっと理解しやすくなり、腑に落ちる。どんな勉強でも使うテクニックだが、ミスの自省にも役に立つ。

自分の言葉で正しいロジックと、間違えたロジックを選んでしまった根本原因を辿ることができれば、あなたのなかでこんがらがっていた論理の紐は綺麗にまっすぐになる。余計な結び目はあなたの言葉で説明することでほぐれるのだ。

この内省が大事だと私は考えている。自分に綺麗に落とし込まないと、表面的に問題をなぞるだけで終わってしまい、類似の事件を起こしやすくなる

まとめ 意外と簡単と根本から治せる

正しいと思い込んで起きたミスは、つまりは正しいと思い込んだ自分がいるから起きたミスだ。なぜ正しいと思い込んだのかには理由があるだろうが、基本的にはそこに過度な自信がある。

自分のやっていることが正しいと確信して行動に起こせるのは、自信があるからだ。

その自信はプライドとなって、結局のところあまり役に立つものではない。自信がなく打ちひしがれた人間はよくないが、しかし過度なプライドは邪魔なだけだ。

ミスを指摘されて腹がたつのも、自分は間違っていないという防御本能と自尊心から来るものだろう。

そういう場合ならなおさら、謙虚になって、自身を捨てて、遠くから自分を見つめるような気持ちで考えなければならない。私は超がつくほどこれが苦手で屈辱で苦痛だが、しかしなんとかできている。一日はお腹が痛くなって、夜は夢に出てきて、歯ぎしりをしているが、しかし一日経てば復活する。

ミスは誰にだって起きることだし、それを責めすぎてはいけない。だが是正するために自分自身が邪魔をするなら、それは正しく処置しないといけない。

効果的な内省のためのステップ

  • とにかくミスを認めて、相手の話を聞く。
  • 何故自分が正しい認識下にあったのか、客観的に判断する
  • 正しいロジックと自分の考えを突き合わせる
  • 自分の言葉で流れを確認できるようにする

私はこのステップを踏んで、「正しいと思ったミス」をぐっと減らすことができた。

もちろん、正しいことをしていると普段思いながら仕事をしているのだから、「正しいと思ったミス」を完全に防ぐことは不可能だ。常に疑心暗鬼であることなどできない。

しかし、いざ直面した時にはっきりと自分を進歩させることが出来るだろう。

  • この記事を書いた人

内藤エルフ

2013年東京大学法学部卒業。都内の米系投資銀行勤務。英語と日本語のバイリンガル。意識高い系そのものが好き。スターバックスでMacbookを開いてドヤ顔するのが好き(しかし仕事のファイルは持ち出し禁止なのでネットサーフィンのみ)。なお、コーヒーの味の違いはわからないけど、日本とアメリカのコーラの味の違いは7割の確率で当てられる。

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