ブログ

なぜ乱射事件と銃社会はなくならないのか、日本人にはわからないその単純すぎる理由

乱射事件と銃社会

年に一回はアメリカで銃乱射事件があったというニュースが流れる。日本のニュース記事のコメント欄を見ると、なぜ銃社会がなくならないのかを疑問視する声があがる。

実際問題、なぜアメリカではここまで社会問題になっているのに大規模な銃規制が行われないのか?

日本とアメリカの決定的な銃に関する違いは何なのか?

この記事では、アメリカでの生活経験を踏まえてざっくりと問題を切り出して検討していきたい。

この記事はこんな方におすすめ

  • なぜアメリカで痛ましい乱射事件がなくならないか気になる方
  • なぜ銃規制が遅々として進まないのか気になる方
  • 銃を制限するためにどのような政策が必要か知りたい方

 

アメリカ人と日本人の違い?

アメリカの建国の歴史とその国民性だとか、合衆国憲法の理念だとか、はたまたライフル協会の陰謀だとかさまざまな意見が上がる。

この問題に正解はないし、さまざまな要因が組み合わさっているのだろう。

私はこの話を日本人の友人に何度かふられたことがある。アメリカで生活したことがあるなら、何か分かるのではないか、と。

あいにく私はアメリカの中でも比較的治安が良い場所に住んでいたので、銃乱射事件に対する感覚は日本に暮らしている人のそれとあまり変わらないかもしれない。だけれども、一つ肌で感じたのは、そもそもの前提条件の差である。

つまるところ、日本は前提条件が違うから議論をしても現実味が湧かないのだ。

蔓延したものを止めるのは難しい

どういうことかと言うと、アメリカ社会における銃は行き渡りすぎている。ゼロから規制をはじめるなら日本と同じ土台で議論できるが、蔓延したものを制限するのは難しい。

断っておくが、私は銃を所持したいとは思わないし、恐ろしい兵器だと思っている。その火力による抑止力を認めないわけではないが、多くの悲惨な事件を産んでいるのもまた事実だ。

幸いにして私の身近に銃を使った事件に巻き込まれた者はいないが、アメリカに暮らしていたことがある以上決して他人事、対岸の火事では済ませられない。

私はあまり銃火器には詳しくないが、生物ではないので比較的長持ちするものだろう。第二次世界大戦の火器でもしっかり整備していれば70年以上経った今でも使えると聞く。弾薬の方が劣化は早いらしいが、それでも長持ちする商品の部類だろう。

つまり、一度誰かの手に渡った銃器はなかなか消耗しないことになる。

そこで例え政府が大きな一歩を踏みだして、個人の銃器所持に規制を追加したとする。その実効性には疑問が残る

新しい銃が社会に流れるのは防げるかもしれない。だが、既に行き渡っている銃には変化は及ばない。刀狩りをするのも現実的に考えて難しいし、かえってプレミアがついて手放さない人も増えるかもしれない。

銃を持つものと持たないものの格差

それ以上に、持つ人と持たない人の間での不安の格差が生じる可能性がある。

例えばあなたの両隣に住んでいる人が銃を持っていたとして、持っていないあなたは平気だろうか?

銃だとピンとこないかもしれない。武器は持ちたくない、それはよくわかる。

あまり良い比較ではないのは承知なので許してもらいたいが、例えばあなたがとある商店街に店を開くとする。あなた以外の店舗は老舗で、防犯カメラを設置している。しかし条例で店舗に防犯カメラを新たに設置できないとしたら、どう思うだろうか。良い比較ではないのは承知だが、少しでも他人が持っているものを自身が持てないというアンフェアさは感じるだろうか。

新規の防犯カメラ設置ができないとなると、既に防犯カメラを設置している人たちはそれを手放すだろうか?
みんな新たに持てないのであれば、フェアにするために私も手放す、というだろうか。 あまり期待できないだろう。

行き渡ってしまったものを駆逐するのは非常に難しい。

なので、銃規制の話はそれをするしないではなく、やるとしたらいかに効率的にやるか、そしてその行為が国民感情とのトレードオフに見合っているかを考えなくてはならない。

人は持っているものを取り上げられるのを恐れる

ましてそれが自分の身を守るために持っているのだとしたら、なおさらだ。

まとめ 代替手段は何なのか

代替の、殺傷能力は低くても自身の身を守るに足る機能を持ったもの(詳しくはないが、スタンガンなどだろうか)と交換であればまだ納得してもらえるかもしれない。

しかしそれでも、銃を手放すきっかけにはなかなかならないだろう。

代替案を導入して新規購入に規制をかけ、市場に出回っているものが陳腐化するまでに何年、あるいは何十年かかるか。果たしてその間にその政策を維持し続けられるか

だからといって、アクティブノンアクション、進んで何も行動を取らないというのはよくない。密に議論を重ねるべきだ。

しかし一方で、日本の環境を念頭に銃規制のみを声高に主張しても意味はないだろう。

それぞれの土壌にあった、適切な種をまくのが大事だと私は考える。

  • この記事を書いた人

内藤エルフ

2013年東京大学法学部卒業。都内の米系投資銀行勤務。英語と日本語のバイリンガル。意識高い系そのものが好き。スターバックスでMacbookを開いてドヤ顔するのが好き(しかし仕事のファイルは持ち出し禁止なのでネットサーフィンのみ)。なお、コーヒーの味の違いはわからないけど、日本とアメリカのコーラの味の違いは7割の確率で当てられる。

-ブログ
-, , ,

© 2023 The Output