稀代の天才と聞くと誰を思い浮かべるだろうか。アインシュタインと並んであがる名前がレオナルド・ダ・ヴィンチではないだろうか。しかし、ダヴィンチの何がそんなに優れていたのだろうか。モナリザに代表される名画の数々が思い浮かぶと思うし、飛行機械であったり解剖図が思い浮かぶ人も多いだろう。
アイザックソンの「レオナルド・ダ・ヴィンチ」はそんなダヴィンチの極めて数奇な人生を緻密に描き、万能の人と言われる所以を余すことなく我々に見せつけてくれる。
私はノンフィクションは好きだが、伝記ものはあまり読まない。どれだけ優れた人であっても、その人の人生においてハイライトの数は限られているだろうし、そのために一冊の本を読むのであればもっと色々と手を出したくなるものだ。だがこの「レオナルド・ダ・ヴィンチ」はそんな不満を払拭してくれる一冊だ。日本語版は上下巻で合わせて800ページ近くにも及ぶ大作だが、どの章も「ハイライト」に溢れている。
いまだかつて、これほど万能と呼べる人間が存在したのか。
一つ一つをとって、それぞれ違う人間が行った偉業であったとしてもスゴイとしか言いようがないのに、それが全て一人の人間によってなされている。
「スティーブ・ジョブズ」でも知られるウォルター・アイザックソンの最新作は、そんな強烈な天才に焦点をあてた一冊だ。
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歴史もの、ノンフィクションを普段読まない人にも心の底からおすすめできる一冊だ。なお、今回は私は英語版を読んだため日本語訳の出来についてはコメントはできない。
この本はこんな方におすすめ
- 稀代の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯に興味がある方
- 刺激的なノンフィクションに触れてみたい方
- 歴史をミステリのように楽しんで触れてみたい方
- ダ・ヴィンチの名作の数々の解説に興味がある方
目次(タップで開きます)
ブックデータ
- レオナルド・ダ・ヴィンチ
- ウォルター アイザックソン
- 土方 奈美 (翻訳)
- 単行本上下巻 各350ページ程度
- 2019/3/29
- 文藝春秋
ミステリがある方が面白い
レオナルド・ダ・ヴィンチは今から数百年も前のヨーロッパの人間だ。もちろん石器時代ではないし文明も十分に発達している時代ではあるが、やはり数百年も前のことだ。数週間前のEメールでさえどっかいってしまうのに、そんな昔に生きていた人間の記録が残っているものだろうか。
ところが意外というべきか、ダヴィンチの記録は豊富に残っている。ダヴィンチ自身がメモ魔であって数千ページに及ぶ自筆のメモ(しかしそれでも現存しているのはもとの分量の一部である)が残されていることや、ダヴィンチが亡くなってまもなく彼の伝記を書いた人だっている。
だからアイザックソンは比較的明瞭なダヴィンチ像を我々に見せることができる。彼がどの時代に、何を考え、どういうことに関心を持ち、何に失望したのかをかなりな精度で描き出すことができるのだ。
しかし、「不明」なものが多いのもまた、ダヴィンチの面白さだ。
例えば、「レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像画」というはっきりしたものはほとんどと言っていいほど存在しない。自画像と思われるものや、彼をモチーフにしたと思われる絵はあるが、しかしどれも確証を持ってダヴィンチのものとは言い切れない。
モナリザのモデルが誰であるかについても、通説はあるが当然別の説も存在する。陰謀論に近いようなものもあれば、なるほどと思わせるものも存在する。
ダヴィンチの真贋もまた面白い話だ。どれが真作で、どれが贋作(あるいは同時期の弟子のものというややこしいケースもある)について、素晴らしいドラマが待っている。そういうドラマがあるのもまた、レオナルド・ダ・ヴィンチの伝記が面白いと思わせる理由の一つだろう。
ただただ圧倒される
通常私たちが思い描く天才とは、例えば音楽の天才であったりスポーツの天才であったり、なんらかの分野で飛び抜けて秀でている人のことだ。
しかしレオナルド・ダ・ヴィンチは違う。彼はあらゆる方面でものすごい成果をあげているのだ。
絵画はもちろん、彼の洞察力は医学や建築の面でも抜きんでたものがあり、「出版されていなかっただけで、実は数百年後に別の人間によって発見されたものは既にダ・ヴィンチが考察していたものもあった」ぐらいである。
そのあらゆる方面で発揮された多彩さはひとえに彼の類稀な好奇心によるものだ。
著者のアイザックソンは度々ダ・ヴィンチのメモのような走り書きを紹介してくれる。その中には数学について学ぶ、キツツキの舌の構造を考える、円の中に三角を入れる方法、と言った具合に様々なものだ。それだけ多くのことがダ・ヴィンチの頭の中を巡っており、それだけ多くのことに関心を向けて素直に向き合うことができたのだ。
考えてもみれば、今から500年以上も前のことで、今のように簡単に情報が手に入る時代ではない。全てを実践して、自分の目でみなければ分からないと言っても過言ではないぐらい、今とは環境が違うのだ。
そんな時代の中で一つや二つの分野にリソースを限って集中するのならいざ知らず、数えきれないほどの分野の数えきれないものの蓋をあけてそれぞれじっくり考え、自らの手で実験をして自らの目でその結果を確認しなければいけない。それは途方もない話である。
ダ・ヴィンチがなぜ万能の人と呼ばれたのか、いざ彼の伝記を読むと痛いほどにわかるのである。
そしてただただ圧倒されるのだ。
伝記なのに小説のように面白い
伝記ものは事実の羅列で教科書のようだと感じる人もいるかもしれないが、少なくともこの「レオナルド・ダ・ヴィンチ」はそんな退屈な代物ではない。まるで小説を読んでいるかのように、ストーリーとしてすんなり受け入れられるような内容なのだ。
事実に即していながらも、レオナルドと共にミラノやフランスを旅して、様々な場面に遭遇していく。若き徒弟としてヴェロッキオの工房で働くレオナルドや、ちょうど同じ頃に頭角を現してきた若き天才のミケランジェロと同じ広間で絵を描くことになった対決シーンや、自身があらゆる面で活躍できる万能な人間であると書いた手紙を携えて領主を訪れる場面など、そのままドラマ化しても絶対に面白いカットが次々と現れて、私たちを決して退屈させないのだ。
本当にこんな人間が存在したのかとはっとなると同時に、レオナルドの人生で次にどんなイベントが起こるのかハラハラドキドキさせられるのだ。
ノンフィクションなのに手放しで「面白い」と言わせるにあたって、レオナルド・ダ・ヴィンチはうってつけの存在だ。彼ほど多方面で活躍し、多くの記録が残っており、だが同時に本当に運命のいたずらのように要所要所でヴェールに包まれている人間はなかなかいないだろう。
私たちは彼から多くのことを学ぶことができ、そして同時に、ダ・ヴィンチが活躍した時代から1000年以上経ったというのにおそらくは彼と同じ域に達することが決してできないというその衝撃的な巨大さに呆然とさせられるのだ。
天才というのは、きっとどれだけ時代が流れても色あせることがない、レオナルド・ダ・ヴィンチのような人を言うのだろう。
まとめ 少し長いが「レオナルド・ダ・ヴィンチ」は誰でも楽しめる作品
絵画について、ルネサンス期のヨーロッパについて、建築について、戦争について、建築について、医学について、そしてそれらの組み合わせ方について全く興味がない人間であっても、きっとアイザックソンの「レオナルド・ダ・ヴィンチ」は魅力的な一冊となるだろう。
それはひとえに人間としてのダ・ヴィンチの巨大さに感嘆できるからだ。ダ・ヴィンチは天才であり多才であったが、決して万能ではなかった。間違いを犯すこともあれば、きわめて飽きっぽい性格で名声にも疎かったのかもしれない。そんな人間らしさがあってこそ、彼の非凡さも光るのだろう。
読者としてそのアンバランスさにどぎまぎさせられつつも、彼が残した多くの偉大なる功績について断片的にでも知ることで、はっとさせられることが多くある。
そんな「気づき」や「驚き」に満ち溢れているのがこの「レオナルド・ダ・ヴィンチ」だ。
なぜダ・ヴィンチが天才と呼ばれたのかを説明するために、こんなに分厚い本はいらないかもしれない。いくつかの例を出せば簡単に彼の非凡さが伝わるだろう。だが、彼が残した作品やメモ書き以上に、後世に与えた影響、あるいは神の悪戯によって与えなかった影響について考えるにはこれだけのページが必要なのだろう。そしてそれは決して無駄な経験にはならないと私は考える。
長ったるいと感じるかもしれないが、非常にわかりやすい章立てで構成されているので、気になった箇所を斜め読みするだけでも十分に本作は楽しめるかもしれない。だが、きっとそうするうちに、「この本はきちんと座って、端から端まで読まなければいけない。それに値する本だ」と気づくだろう。
そんな気づきを一人でも多くの方に感じていただきたく、この本を最大の賛辞を持っておすすめしたいと思う。