意識高い系ブックレビュー

「なぜ必敗の戦争を始めたのか」は歴史を振り返りたくなるきっかけを与えてくれる、興味深い本

「なぜ必敗の戦争を始めたのか」は歴史を振り返りたくなるきっかけを与えてくれる、興味深い本

本書、「なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議」は1970年代に元帝国陸軍の偉い地位にいた人たちが行った戦争を振り返る会議の内容をまとめた本である。つまり、当事者が第二次世界大戦をどのように考えていたのか、特にその戦争開始までの経緯に焦点を当てながら見ていくという本である。

本書の帯には「戦争の導火線に火をつけたのは陸軍か海軍か」とあり、まるでどちらかに100%の原因があるかのような書かれ方だが、そもそもこの本の元ネタになった反省会議には陸軍の人間しか出ていないのだから、なんとも微妙なところである。

しかしその点は置いておいても、当時の上層部に親しい人たちが戦争をどのように考えていたのかを見られたのは非常に興味深かった。

第二次世界大戦にあまり詳しくない私でも、外交や作戦、軍内政治や工作といったなかなかに繊細で(こういったら失礼かつ不謹慎かもしれないが)、好奇心をそそる内容で溢れておりどんどん読み進めることができた。

歴史の正しさは藪の中にしても、どのようなことを考えていた人がどのように戦争を導いてきたのかがわかるという意味では、非常に良い一冊だろう。

こんな方におすすめ

  • 歴史、とりわけ第二次世界大戦に興味がある方
  • あれほど大きな歴史事象がどのように起きたのか知りたい方
  • 戦争の責任問題に興味がある方

ブックデータ

  • なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議
  • 半藤 一利
  • 新書 317ページ
  • 2019/2/20)
  • 文藝春秋

びっくりするほどあっさりしている人たち

私が「なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議」を読んでいて一番びっくりしたのが、「この人達はなんでこんなにあっさりと、淡々と語るのだろう」ということだ。もちろん、文章に起こされているわけだからそこまで未練とか後悔とかがダダ漏れであるわけがないのだが、実に客観的に話を展開していく。

別に他人事のよう、と非難するつもりはない。だが、少し違和感を感じた。

私は第二次世界大戦にはあいにくあまり詳しくなく、教科書レベルの知識しか持ち合わせていない。だから陸軍が悪いのかとか、海軍が悪いのかとか、そういうレベルの議論を私はフォローしたことがない。

だけれども、この本に登場する「陸軍エリート将校」たちは、いろいろな人の名前を出しては、「彼はこうだった」「だからこうだった」となすりつけ・・・とまではいかないが、指差しをしきりにするのである。

もちろん、当時の陸軍のトップに近い人達なのだから、非常に優秀なのはよく分かる。極めて優れた頭脳と記憶力を持ち合わせているのだろうなというのもわかるのだが、どうしても私は外相の松岡洋右や時の首相の東条英機、そして海軍の責任問題であるという議論を成立させようと躍起になっているようにしか感じられなかった。

戦争をするにあたって浮き彫りになる問題を、なぜ黙殺したのか

正直、かなり衝撃的だったのが鉄や油といったどう考えても戦争を遂行していく上で大事な要素について「忖度ありき」にこの人達が報告をしていたということだ。そこを見誤ってしまっては、とんでもないことになるのにも関わらず、だ。

例えるなら今から自動車で旅行に行くのに、ガソリンメーターが実は0に近づいているのに「満タンだよ」というようなものだ。

例えば、こんな文章がある:

・・・僕は兵站総監部参謀にもなって、よく、次長に飛びつけられました。「君は、俺の部下でもあるんだ。あんまり悲観的なことを言うなよ」と。
・・・当時の空気では「駄目です」なんて、言えんものがあった。

「なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議」p.100より

あるいは、このような文章もある

原: 物動計画に実際に載った[鉄の]数字が五百四十六万トンなんです。

中原: 僕も書いてるけど、そのころは通常水増しして陸海軍に分けた。

「なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議」 p.100より

・・・私も作戦会議に兼任させられて、ときどき引っ張られたけれども、ズラーッと並んでおって、たった一人で「鉄がない」とか言えないですよ。当時の雰囲気は、本当に言えないんだ。

「なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議」 p.189より

もちろん、その状況はとてもよく理解できる。誰だって、本当のことを言うのがキツイ時はあるだろう。私だって、今ではブログで威勢のいいことを言えるけれども、実際にその場にいたら正しく報告が出来る自信なんてない。

だから彼らを責めているのではなくて、そのような状況になってしまっている事自体が恐ろしいことなのだ。

太平洋戦争は勝つつもりだったのか

非常に日本らしいな、と個人的に思ったのが次の文章だ。

・・・数年にわたる見通しを書いてあるんですが、結果として “勝つ” ということは書いていない。長期不敗態勢を確立して、とにかく、戦争は長期持久戦で進むんだ、ということなんです。

だから、”負ける” とも書いていないんですけど、勝つとも書いていなくて。その間、世界情勢の変転なども相まって和平に持っていくだろうというふうなことを、言外ににおわせた記述であって、勝つとも負けるとも書いていないということを申し上げたかったんです。

「なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議」 p.194より

参謀本部がこんな調子なのだから、なんとも不思議なものである。もちろん、戦争の見通しなんてそうそう簡単に立てられるものではないが、参謀本部レベルで「勝てる!」とすら言えないような、だらだらといつか和平に持っていきましょうというようなことを「におわせる」ようにしか書けないのであったら、なぜ戦争を行ったのか、不思議でならない。

会社で「このプロジェクトは成功するか?」と聞かれて、「成功するかしないかは置いといて、長期化して気づいたら自然消滅する感じですね」とか言ったらぶん殴られるだろう。もちろん単純に比較できるものではないというのはわかるが、いやはや不思議である。

第二次世界大戦のブレーンたちの興味深いポイントが多い

それ以外にも、読んでいて「このあたりはカルチャーギャップというか、違うなぁ」と思うところがあった。

例えば、米国感情の見誤りだ。

・・・アメリカのナチぎらいっていうものが、日本人の予想以上なんですな。・・・ところが、われわれはナチスというものをそんなに考えないんですね。日米交渉の計画を通じますと、アメリカのナチスぎらいは非常なものなんですね。

「なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議」 p.74より

文化が違うのだから、国民感情を正しく予想することはできない。これは今の時代の外交だってきっと同じことだとは思うし、私達だって「なんでそんなふうにリアクションするの?」と未だに他の国の人たちについて感じることはある。

特に情報伝達手段も今ほど発展していなかった当時のことを考えれば、そういう見誤りがあってもさもありなんという感じだが、こういうお話がちょくちょく出てくるので登場人物が殆ど知らない人であっても、流れとして面白く読むことができた。

ドイツと同盟を組んだあとの米国の雰囲気を探りに行かせたが、誰も同盟前の米国を知らないから比較の説明をしても分かってもらえなかったという(不安になるが)正直呆れて笑ってしまうようなエピソードもあった。

東条英機内閣がどのように出来上がったか、終戦の工作はどうだったのか、そういった様々な歴史的事象をこの陸軍エリートたちの目から見て語られるのを読むのは、歴史の多面性というか、やはり真相がわからないものについていろいろな意見を読んでいくのは勉強になるなという気持ちがした。

何が正しくて、何が正しくないのかはわからない

結局の所、それぞれ個々人には誰が悪いとか、責任はこうあるべきとか、国の判断はこうだったとか、そういう持論が存在する。それをお互いに披露しあって、時には肯定してという形で(同じ陸軍という組織の人間だからか)進んでいく話を、傍から見るという形でこの本は終わっていった。もちろん、座談会を本に起こしたのだから当然のことではある。

しかしそれは結局の所、真相がわからないという話である。

様々な意見のぶつかり合いと、なんとなく出来上がった「空気」の支配、そして一部の人間の暗躍(と思われるもの)によって先の大戦は勃発して、そして常に方向性の誤りと修正、そして意見の衝突がやはり起きながら最後はあのような形で終わっていったのだということがわかる。

私は平成生まれで、戦争は当然知る由もないし、周りに戦争を経験して語れるという人も少なくなってきた。だからこそ私は特に事前に何か意見が固まった状態でこの本を読んだわけではなかったので、色々と吸収できたのかもしれない。

正直なところ、私はこの本に登場した「陸軍エリート」の方々とは仲良くなれそうにはない(もっとも、全員既に他界されているが)。やはりマインドセットが違うというか、根本的に合わないところがあるのだ。

例えば次の文章がある:

・・・つまり戦争というものを研究しているんで、今、イギリスでも、それをやっているというお話を聞いて、非常に関心したんですが、日本でも、それをやってもらいたいですな。

それが解れば、わけの解らん平和論や、国防不要論は出てこないと思います。

「なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議」 p.281より

私には少しこの議論が聞き捨てならないというか、納得できなかった。平和を信奉するからといって皆で手をつなぎましょうと安直な結果にいくわけではないし、国防の研究や軍備は大事だとは思うが、このような切り捨て方はどうなのだろうか。

当然、実際に戦争を経験して、戦った方々からすると、私なんてもう気の遠くなるほど甘っちょろい存在なのだろうが、そう考えてみると、きっと一生埋まることのない溝なのだろう。私はナイーブなのだろう。

まとめ 学ぶところは多く、だが、悲しくもなる

戦争が悲惨だということは、誰しもが同意することだろう。

だからこそ、それを見直して、なぜ、なんで、どうしてと問を重ねていくことは大事だと感じる。終戦から70年余、戦争を語り継げる方がどんどん少なくなっていく中で、こういう文献にあたって、当時の人達の思考を紐解いていくことは大事だ。

そういう、監査をするような気持ちで若輩者の私がこの本を読んでいると、「なんで」「どうして」と今度は不思議にしか思えない、不一致感みたいなものにひっかかりを覚えてしまう。

「皆仲良くすりゃよかったのに」なんてナイーブなことを言うつもりはないが、しかしそうも言いたくなるような場面も出てきた

繰り返すが私は戦争を経験したことはないし、若者だし、未経験で、何も分かっていないのだろう。だからそんなことを軽々言えるのかもしれない。

だが、だからといって意見を言ってはいけないということにはならないだろう。私はこの本を読んでよかったと思う。遠く感じていた戦争を少しでも学ぶことができたのだから。

なぜ、なんで。質問はまだまだ続く。

  • この記事を書いた人

内藤エルフ

2013年東京大学法学部卒業。都内の米系投資銀行勤務。英語と日本語のバイリンガル。意識高い系そのものが好き。スターバックスでMacbookを開いてドヤ顔するのが好き(しかし仕事のファイルは持ち出し禁止なのでネットサーフィンのみ)。なお、コーヒーの味の違いはわからないけど、日本とアメリカのコーラの味の違いは7割の確率で当てられる。

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