こう言ったら批判を浴びそうだけれども、なんともいい意味で無茶苦茶な本である。言語学や宗教学の真面目な話が続き一瞬意識が飛びそうになるものの、ピダハンの人々の(我々から見たら)不可思議な習慣や生活に思わずページをめくる手が止まらなくなる。
難解な本ではあるが、「興味深い」とはこの本のためにあるような言葉だ。
ぜひ、手にとってもらいたい。
この本はこんな方におすすめ
- 未開の地の民族の生活に興味がある方
- その未開の地の民族に宣教師が会う、というノンフィクションに惹かれる方
- 神や数字の概念がない言語に興味がある方
- 日本の日常では絶対にない、刺激的なノンフィクションを読みたい方
ブックデータ
- ピダハン「言語本能」を超える文化と世界観
- ダニエル・L・エヴェレット
- 屋代通子 (翻訳)
- 単行本(ハードカバー)305 ページ
- 2012/3/22
- みすず書房
ピダハンという少数民族
そもそも、私は世界をよく知らなかった。
ピダハンという少数民族がアマゾンの奥地で暮らしていたなんて知らなかったし、書き文字もなく、数や色の概念がない民族がいるなんて知らなかった。
もっとも、ピダハンは完全に外界から自身らを遮断している民族ではない。そういう民族はセンチネル島などにいるらしいが、それはさておき、ピダハンが興味深いのは外界との交流を持ちつつも、独自の(私達からしてみると)原始的としか言えない生活形式を保ち続けてきたのが興味深い。
この本はしかしただピダハンの研究に関する本ではない。
むしろ、そういった観点で見ると多少(とはいえ、十分満足できると思うが)肩透かしを食らうかもしれない。ただおもしろ部族のおもしろストーリーを知りたいのであれば、きっとウィキペディアとかを見た方が時間が潰れるし明日披露できるトリビアも増えるだろう。
伝道師 vs 未開の部族、面白くないわけがない
著者は西欧の伝道師である。
神を持たないアマゾンの少数民族「ピダハン」たちと生活をし、その中で著者が様々な言語学的・神学的発見をしていくというものである。
つまり絶対おもしろいやつだ。
しかも何がすごいかというと、著者は自身の家族(小さい子供も!)を連れてアマゾンの奥地へと訪れ、何ヶ月も生活している。
蛇も出るわ、喧嘩で人が死ぬわ、病気になるわでてんやわんやである。
そのドタバタ劇を見ているだけでも面白いし、ピダハンの人々の素晴らしいセンスには脱帽する。とにかく面白くてたまらない。そしてときにしてとても残酷だし、だがそれは過酷なアマゾンの世界によるものなのかもしれない。
私なら2秒で泣きながらおかあさーんと逃げて帰ってしまうような場面でも、著者は懸命に(ある意味頑固に)それに体当りしていく。
ピダハンの凄さを物語るものに、このような文章があった:
乳離した子供はもはや赤ん坊ではなく、特別扱いされない。母親のとなりで寝かせてもらえず、寝台で寝ている両親たちから決定的な距離をおかれて、きょうだいたちに混じって眠らなければならない。・・・男の子なら二、三年のうちに、父親や母親や姉たちが畑や狩りに出ている間に魚くらい釣ってこられるようにならないといけない。
本書 p.152
なかなか現代日本社会では想像できない子育て論だ。だが、ピダハンたちは過酷なジャングルの環境の中、ある意味でとても進化して適応して歴史を紡いできている。
彼らは大真面目に人生を捉えて、そしてある意味でとてもドライだ。
ピダハンの死生観というのも非常に興味深いテーマであったし、それこそ伝道師としてこの民族に会いに来たエヴェレット氏にとってはなおさらであろう。
しかし、言語学的な要素が強い
こうしてみると非常に面白い話なのだが、いかんせん専門的な話が続くと眠くなってしまう。
たしかにピダハンの言語が興味深い。色々な解釈が取れる「カギ」という言葉の存在をはじめ、未来系・過去形がない、複数形が存在しないなど確かに面白い要素が多い。これでどうやって言語が成り立っているのか、興味が惹かれるのは確かだろう。
しかし、ピダハンの言語は私の理解を遥かに超えたところにあった。
純粋に、著者の懇切丁寧な説明をもってしても、わからないのだ。
その例に、「パンサーを仕留めたカアブーギーという男の話」がある。カアブーギーが語った狩りの話をエヴェレットは書き出しているのだが、私にはちょっと理解ができない。例を見てみよう。
1 ここでジャガーがわたしの犬に襲いかかり、犬を殺した。
2 そこでジャガーはわたしの犬に襲いかかり、犬を殺した。この出来事はわたしに関して起こった。
3 そこでジャガーは犬を殺した、犬に襲いかかって。
4 それに関して、ジャガーは犬に襲いかかった。わたしはそれを見たと思った。
5 そこでわたしは、つまりパンサーは、わたしの犬に襲いかかった。
6 そしてパンサーはわたしの犬に襲いかかった。
7 そこで私は話した。これはパンサー(の仕業)だと。
本書p.176
このような会話が40行にも渡り、その後著者の解説が入る。
例えばピダハンの話は最初に登場人物を紹介し、その紹介があるから完結した話があることなど、さまざまな説明をしている。しかし、それらをもってしても私には理解がし難い言語体系と話の組み立てである。
後半になってくるとより詳細な言語学的なアプローチによるピダハンの話となり、ちょっとついていけなくなってしまった。
まとめ 超面白いが、この本でなくても良いのかもしれない
- 現代日本社会では想像できないような生活をしている民族の話が好きか?
- 右と左、色といった私達が基礎的だと思っている言葉が存在しない言語の話を聞きたいか?
- 神を信じない、今を生きる人たちに、西欧の伝道師が直面したらどうなるか?
- 未開のアマゾンでの生活はどんなものか?
こういった要素が好きなら、この本は素晴らしくあなたにマッチしているだろう。
かくいう私も、こういう話が大好きで大好きで、普通の本に比べてちょっと価格帯が高いこの本を購入するのにも躊躇しなかった。
だが、結論から言うと「難しい」と言うしかない。内容が難しい、の「難しい」でもあるが、上記のポイントをすべて網羅している本ではなかったのだ。それぞれの片鱗を見せながらも、重点を置いているのはそれ以外のところだった。
だがしかし、この本を選んだのは失敗とは決して言わない。むしろ、大成功だ。
この本に出会えて、私は数多くの今まで自分が考えもしなかった、存在するとも思わなかった数々の論点や事実に出会えた。この本を通して、一晩は誰かと語り明かすことができるぐらいだ。
だがそれと同時に、私はもう少しこの本の焦点を探るべきであった。ピダハン族の話というよりかは、ピダハンの言語の話であり、さらにそれをベースに哲学する作品であった。
面白いのには間違いがないが、少し思っていたのと違ったのである。リサーチ不足かもしれないが、紹介文を読んでもそこまではわからなかった・・・と個人的には思う。
それはさておき、壮大な話がこの数百ページの中に閉じ込められているのは間違いない。著者はその後ピダハンと出会ってどうなってしまうのか? 伝道師の役目は果たせるのか? そして、ピダハンの難解な言語は解き明かせるのか?
これらは読んでからのお楽しみだ。
そして多少は難解かもしれないが、読んで後悔は決してないだろう。