音楽は大事だと思っている。
私は集中して作業したい時は外部の音をシャットアウトするために音楽を聴く。かえって集中できないという人もいると思うが、BGMの効果は侮れない。
とはいえ、私は音楽愛好家とまではいかない。iPhoneでYouTubeの音源をAirPodsで聴くのがデフォルトだった。AirPodsを買う前はiPhoneについてきたあの白いイヤホンを使っていた。
これはいけない、意識が低すぎる。
音楽を真に楽しむためには、専用のプレイヤーとちゃんとしたイヤホンやヘッドホンが必要だ。
というわけで、私はSONYのフラッグシップヘッドホンであるMDR-1ZRを買ってみた。
この記事はこんな方におすすめ
- ソニーの最高品質ヘッドホンのクオリティが気になる方
- 最高級ヘッドホンとはどんなものか知りたい方音
- 音楽の極みへの第一歩を踏み出したい方

目次(タップで開きます)
フラッグシップ機を買うのは最高品質を買うということ
フラッグシップというのは旗艦のことであり、つまりは一番スゴイやつだ。
主力商品とは別に、純粋に最高クラスのものを指すことが多い。
価格を度外視して、最高の性能を引き出すスタンスに強い憧れを感じる。何より、意識が高そうだからという理由もある。
というわけで購入したのはSONY MDR-1ZRというヘッドホンだ。
ヘッドホンなのに18万円もする。
ゼロが一つ少なくてもおかしい気がするのに、この値段だ。
とはいえ、最高のアウトプットには最高の機材が必要だ。ちなみにSONYを選んだのは他のブランドにあまり馴染みがなかったからとは恥ずかしくてあまり言えない。今考えると意識高い系なら海外メーカーにしなければならかったのでは、と思ったが時すでに遅し。
MDR-1ZRは超でかい重厚な箱に入れられてやってきた。おかしいぐらいデカい。革張りで金属のロックがついているのはいいのだが、デカい。

ぶっちゃけいらない。
私はヘッドホンが欲しかったのであって、箱なんてわりとどうでもいい。

Sony MDR-1ZR
捨てるのはちょっと忍びなかったので、箱は早速納戸の奥に仕舞われていった。
MDR-1ZRはめちゃくちゃ大きい、が装着感は最高
そしてMDR-1ZRもデカい。
試着はおろか実物すら見ずに購入したことに少々後悔すら感じた。頭に装着したら果てしなくアホっぽいシルエットになった。

Sony MDR-1ZRの装着感
でもシルエットに固執していては意識が低すぎる。大事なのはこのマシンがハイクオリティなサウンドをデリバーして私にオプテマイズされたソリューションを提供することなのだ。(本日の意識高い系以下略)
なので無視して、一緒に購入したWalkmanにつないでみる。バランス接続というこれまたよく分からないケーブルを使用し、エイジングというちょっと理屈がよくわからないが音が良くなるという儀式的プロセスを経て、晴れて音楽を聴き始める。
装着感は鏡さえ見なければ決して悪くない。バンドは柔らかくしっとりした肌触りのもので、長時間つけていたが不快感はなかった。耳を覆う大きなカップも意外と汗が溜まったりすることはないので快適だ。
とはいえ、わりと重いヘッドホンなのでさすがに長時間つけているとその面で疲れは出てくる。
高額なだけあって、包まれるような音質は素晴らしい
音源はハイレゾのクラシックだ。

意識高く、クラシックを聴く。
意識高い系はクラシックが好きだからだ。好きだよね?
というわけで聴いてみるが、たしかに音はすごい。包まれるようだし、コンサート会場にいるような気分に確かになる。嘘ではなかった。
ちなみに私はあまりコンサート会場に行ったことがないのでなんとも言えないが、まあとにかく音がすごい。
小学生みたいな感想しか出てこないが、AirPodsで聴いているよりかはグッと楽器一つ一つの音が際立って聞こえるのは確かだ。ぐちゃっとまとまって聞こえるのではなく、それぞれの楽器を意識して聞き分けられるような、不思議な感覚だ。
とはいえ。
とはいえ、だ。
この音に合計30万近くの価値があるのだろうか。
ものの価値、さらにいえば音楽の嗜好というのは極めて主体的なものだ。いいという人もいるだろうし、悪いという人もいるだろう。
だが、「違う」というのは多分誰でも感じられると思う。
良いか悪いか、それは置いておいて、このMDR-1ZRから出てくる音は「違う」。
ブラインドテストをしてもわかる自信があるが、ブラインドテストをしても装着感でわかってしまうので無理だと気づいた。
この違いを言葉で説明するのは難しい。
音に粒感があって、あるべき姿が聞こえてくる。
音が明朗というのだろうか。
静寂は本当に静寂で、楽器それぞれの輪郭がはっきりしている。低音は機材がしょぼいと聴きづらいというが、きちんと聞こえてくる。
なんというか、「あるべき音」が全て揃っているのが感じられる。欠けているもの、なんかぼんやりしてしまっているもの、そういうものがない。きちんと拾ってくれている。

Sony MDR-1ZR
つまりは音の再現性が高いのだろうか?
元のデータをちゃんと1から100まで、人間様に聞こえる様に渡してくれている、そんな感じだ。
だが結局それがいいのか悪いのかわたしにはよく分からなかった。
私はそこまで集中して楽器を聞き分けながら音楽を聴くわけではない。全体として「音楽」になっているのを聴いている。なのでそこに価値を見出すことはできなかった。
面白いのは、音が明瞭になったのは良いがその音自体はそこまでAirPodsとYouTubeで聞いていたものと違わないということだ。例えるのは難しいが、缶コーヒーと淹れたてのコーヒーほどの違いはないということだ。どっちがどっちかは分かるが、がらりと音の「味」が変わることはなかった。
ヘッドホンにそこまでの力を求めるのはおかしいのかもしれないが、何かこう「全然違うぜ!!」といった体験を想定していたら丁寧に結果を渡されて拍子抜けしたという気持ちだ。
期待しすぎていたという表現は正しくない。私の期待の矛先が違ったのだ。
まとめ 最高の品質は認めざるを得ない
結果としてこれは素晴らしいヘッドホンだと思った。着用感は素晴らしいし、音漏れもない。うるさすぎるとか音が耳に刺さるとかそういうこともなく、疲れることなく音楽に身を任せられる。いささか装着時の見てくれが今ひとつかもしれないが、そんなものは求めていないだろう。
音を丁寧に聴かせてくれる。
本当に、丁寧な機械に感じられた。職人技が光るとか、そういう派手さはない。ただとにかく丁寧だ。

Sony MDR-1ZR
そこに20万の価値があるのだろうか?
ひどく正直に申し上げると、私は「ある」と感じた。(少なくともSONYの)最高のものを試せた。その試し方が適切かどうかはわからないが(おそらくそうではないのだろう)、その経験だけで私は十分に嬉しい。
高い買い物だったが、「これで間違いはない」という安心感はある。
もっといいやつにしておけば…なんて口が裂けても言えないし。
さらに「MDR-1ZRで聴くショパンはやっぱり慣れ親しんだいつものショパン。彼が懐かしいね」とか言える。これも貴重だ。