レトリック、弁術というトピックそのものに興味があるなら大いに役立つ本。
だけれども、実社会ですぐに応用できるテクニックを求めているなら時間の無駄かもしれない。
この本はこんな方におすすめ
- 体系的に弁術を学びたい方
- レトリックの歴史と、数々の手法を外観したい方
ブックデータ
- THE RHETORIC 人生の武器としての伝える技術
- Jay Heinrichs/ジェイ ハインリックス
- 多賀谷 正子 (訳)
- 単行本: 557ページ
- 2018/4/6
- ポプラ社
帯のパワーはすごい
正直なことを言うと、私は「ベストセラー」とか「ハーバード大学で必読本に選ばれました!」みたいなフレーズに弱い。意識高い系を見下しつつも、なんだかんだで街灯に吸い寄せられる蛾のごとく「買わなきゃ…」となってしまう。
そういう意味ではこの本のカバーには私が好きそうなフレーズがずらずらと並んでいるし、蔦屋家電みたいな意識高いところでザ・意識高い人が読んでいる本みたいに神々しく鎮座していると買ってしまうのはもう避けがたいことだろう。
レトリックとは
レトリック、交渉術、会話術、人心掌握術、人間関係といったフレーズにも私は弱い。
会社でそんなやつを見たことなんて一度もないのに、弁が立って次々と人を巻き込んで気づいたらその人のために働いちゃってるー!みたいな人間になることに憧れる。
この本もぱらぱらとめくったらやたらとキケロが出てきたし、こりゃ買いだなと思った。
レトリックは著者の言葉を借りるなら「自分の考えや思いをうまく相手に"伝える技術"」であり、「聞き手に影響を与え、有効的な関係を築きながら雄弁に語り、ウィットの効いた答えを返したり、反駁の余地のない論理を展開したりする技術」である。(それぞれ本書p.20より)
とはいえ、レトリックは魔法じゃない。
それは著者もよくわかっているし、帯や広告で過剰に謳っているほどの超パワーはない。先人の知恵と経験の上に立っている、人間の行動心理に裏付けられたちょっとした小技の集合体のようなものだ。
だからこそ、私はがっかりしたのかもしれない。
そんなにびっくりする内容ではない
ちょっと考えればわかることがこの本では大量に出てくる。「いや、そりゃそうだろうよ」と突っ込みたくなるところも多い。まったく何も知らない人からしてみれば「マジで!?」となるようなこともあるのかもしれないが、そもそもこの本を手に取ろうとしている人間はレトリックが大体どんなものかは分かっているだろうし、一つや二つぐらいなら例を出せるだろう。
しかし例えば
同僚が職場について文句を言ったときは、「直接、上層部とかけ合ってみよう」と言ってみるといい。ぶつぶつ文句を言っていた同僚が、とたんにびくびくしだすはずだ。
本書p.81 より
のように、「ちょっと考えればわかるよなぁ?」という、日ごろからやっているであろうことが多い。
章のタイトルや本の構成から一瞬騙されそうになるが、そんなに学術的なことが記載されているわけではない。引用文もやたらとシンプソンズが多かったり(でもシンプソンズは最高だよね、わかる)ちょっとおちゃらけた部分があるかもしれない。
しかし帯に「ハーバード学生の必読本」とあるように、これは19歳とか20歳ぐらいの人が読む本なのかもしれない。会社で働き始めて毎日上司や部下や同僚や取引先やらとのコミュニケーションを取っていたら自然と身に付くものが多い。営業の仕事をしていたらなおさら身に付くだろう。
だからビジネスマンが手に取って「こっこれは…!すぐに実践しなければ!」となるものではない。
どちらかといえば「普段人間が無意識でやっていることをテクニックとして切り取って名前をつけたらこうなるのか」という要素が強いかもしれない。
マーケティングの被害者
となると、ちょっと著者が気の毒になる。
日本の書店で平積みされているこの本を手に取る人は、きっと弁術を磨きたいから手に取るのだろう。しかし本書はそもそもそういう目的で書かれたものではない。ハインリックス氏の研究と経験を体系的に、そしてとてもわかりやすく紹介している本に過ぎない。
つまり「おいしいバーベキューの作り方」の本だと思って買ったら、「さまざまなバーベキュー器具の種類とそのざっくりした使い方」の本だった、という具合だ。
炭とかトングぐらい知ってるよコノヤロウ!!!ってなるに違いない。
まぁそれと同じことだ。
例えば本書には以下のような例がある:
...公演中に、ひとりの若い男が「胸を出せよ!」と彼女に向かって叫んだ。このとき...ガードマンにその男をつまみ出してもらうよう要請することもできただろう。
...だが彼女はそうしないで、とてもフレンドリーな対応をした。自分の話をいったん中断して、目の上に手をかざして客席を見回すと、やじを飛ばした男を探し当てて、スポットライトを当てさせた。あたかもその男のことを知りたがっているかのように、シューマーは男に「どんな仕事をしているのか」を訊いた。「セールスマンだ」と男は答えた。
「セールスマンなの?」とシューマーは返した、「ちゃんと仕事ができるのかしら? 信じられないわ」
最高におかしいジョークというわけではなかったが、しに切り返しがとても自然だったことが笑いを誘った。...もっと重要なのは、シューマーがその場をコントロールし、男から場の支配権を奪い返したことだ。
本書 p.314より
確かにストーリーとしてはその通りだし、このレトリックのテクニックを紹介する上では申し分ない例だろう。
だけれども、それを果たして私は応用できるだろうか?
答えは否だ。
結論 教科書のように研究成果をまとめた丁寧な本
この本を役に立つか立たないかというのは酷な話だ。
著者も別にこの本を、「これを読めばあなたも明日からレトリックマスター!大嫌いなあいつを意のままに言葉の魔術で操ろう!」という帯をつけて売ろうと思っていないだろう。
あくまで「こういうテクニックがある」「こういう言葉づかいは、こういう効果がある」「言葉の順番をこうすることで、ここまで印象が変わる」といった話を、順序立てて説明しているに過ぎない。
だから私が上記の「こんな例は現実では応用できない」という突っ込みはあまり意味をなさないものになる。
問題はこの本を手に取る人が、そういうことを期待していることが多いのではないか、ということだ。当然本書を買った人をいちいちインタビューしているわけではないからわからないが、本屋での売られ方やアマゾンの紹介文などを見る限りはそういうきらいがあるように見受けられる。
しかし、もう少し数値化できるスタディを根拠にしていたほうが面白かったのかもしれない。こういう本が好きな人は、社会学者や心理学者が行った実験の結果などを見てキャッキャするのが好きなのだ。そういうものが少なく、比較的ハインリックス氏の身近な例で固められてしまっているのが残念だ。説得力がないわけではないが、ちょっとした話のネタにもなりにくいところがある。
というわけで、最初の結論に戻る。
レトリック、弁術というトピックそのものに興味があるなら大いに役立つ本。
だけれども、実社会ですぐに応用できるテクニックを求めているなら時間の無駄。
読み物としては面白いから(少々くどいが)、手に取ってみるのもいいだろう。